今日は新聞も楽しく読めなかった?なぜだ?
日経新聞を読めない(読んでも活かせない)ことは分かっていたが、「世界の」日刊スポーツも読めないのか?と感じてしまった今朝だった。
読むところがないというか、読んでもたのしくもない。
こんなに何も楽しく無くなっているということは、相当病んでるなあ。
快復基調だとは思うけれど、どん底を体験すると、戻るしかないという開き直りができるのに、そのどん底に引きずられて、中々快復しない、ということなのか?
それは精神状態の病み具合と同時進行なのかも知れません。
ただ本格的に病気といったレベルではないので、精神科を受診しても、例えば鬱状態という診断を下されるなど、仕事を休むように勧められるほどではないのです。
動けなくて困っているわけではないし、それほどに表面上は深刻さが見えるわけではありません。
でもそれはやはり、的確な処方箋に基づいた処方薬の服用によるものなので、全く問題がないわけでもないのです。
あんまり楽しく感じていないような気がします。
例えば、僕は元々ギター弾きだったし、ラッパ吹きだったので、音楽に楽しみを感じていた、はずなのですが、どうも今年の半ばから、聴いても楽しく無くなっていた気がするのです。
ちょうどこのブログを中断した頃に重なります。
つまりその頃、精神的に病むきっかけがあったというか、それは派遣契約の終了というやつで、若くもない僕にとってそれは、どうやって食っていくんだ?という問題に直面することだったのです。
それがどん底の所以なわけです。
ただ精神的などん底は実はその時ではないのです。
というのは、再就職できたけれど、実は自分の絶対やりたくない仕事であったことでどん底に落ちてしまった。
そうなることは経験上分かっていたのだけれど。
やむなく就職してなんとか食っていけているありがたさはあるのです。
そうではあるものの、精神的にギャップが生じて解消できない状態で、鬱状態を発症してしまいました。
幸いにも投薬で改善はしています。
なので仕事にも行けているし、相変わらず本心ではこれはやっていけない仕事だとは思っているけれど、それを出さずにやっていこうと思えているのです。
でもどこかで、未だ何かを引きずっているような気はしているのです。
甘いと言えば甘いのでしょう、薬が効いてなんとかやっていけているのだから。
もっと激務の中で苦しんでいる人が精神状態を乱して、通院している感じを見るにつけ、そんなことを思います。