気づきは大事。
やりたいことがあって、でも時間が取れないとか、仕事があるとか、何かと言い訳をして、自分の気持ちに蓋をしてはいないだろうか?
やりたいことはやったらいい、どう行動するかを大人は選べるのだから。
そんなことを、鴨頭嘉人さんのYouTubeを見て気づかされた。
悶々と、やりたいのにできない、できない、と諦める方向に考えがちだ。
でも逆に「やりたければやればいい」と考えることもできるのだ。
気づきの問題です。
できない方向に考えて諦める必要はないのです。
鴨頭さんの出していた例は「会社の悪口、愚痴」を延々と言っていることに対して、「何故そんなに嫌なところに居続ける選択をするんだろう?」「辞めればいいじゃん!」ということでしたが、それをできる自由が大人にはある訳です。
それは極端な例かもしれませんが、日頃結構な量で、あれやりたいけど時間がないな?とかお金がないな?とかスペースがないな?とか理由をつけて、諦めることがあると思います。
鴨頭さんのいうことは理想論だとか、いつもそんなにポジティブでいられないでしょ?とかいう人もいるようですが、鴨頭さんは言うのです、「知ってる」と。
その上で、「選べるんだから好きな方を選べばいい」と言います。
https://www.youtube.com/watch?v=48nOGI1qsaI
(鴨頭さんのYouTubeのリンクを貼ってみます)
僕の場合。
旅がしたい。
でも生きるため(収入を得るため)には仕事をしなければいけないんだ、だから自由に旅をしたいなんて思っちゃいけないんだ(時間を取れないし、会社を辞められないし)。
そう思っていました。
でも、行きたきゃ行けば良いんだ。
もちろん現状では、せいぜい有休の数だけじゃないか?
それだったら、考えちゃいけないのか?
そんなことはない。
今は働き方も多様化している。
何かの形があるかもしれない。
もしもそんな可能な形があるのなら、それを「選んで」見るのも良いんだ。
ふらっと旅に出るのもよし、どこかに居付くのもよし。
そんなことを気づくだけでも生きるのが楽しくなりそうです。
木梨憲武さんや所ジョージさんのように「60歳からが楽しいんだ!」と思える生き方をしてみたい。
いや、するんだ、と考えて良いはずだ。
選択の自由がある訳だから、それは可能だと思う。
しがらみだなんだかんだ考えると難しく感じるのだけれども、彼らをみていると軽く生きている感じがする。
僕にも出来そうだ!と、考える選択の自由があるのだから、考えてみよう。