仕事ができること自体に感謝して頑張るのです。
仕事をするということ自体は嫌いじゃない。
それがたとえ嫌いな仕事であっても、するということ自体は嫌いじゃありません。
中身に関しては好き嫌いがあったりしますが。
それで今日も仕事をしたわけです。
夏のまだ暑さが残る8月から、元々自分としてはやる気のなかった職種についてもう4ヶ月弱です。
それでもやっているうちに、辛いながらもやっているそのうちに、不思議なくらいちゃんとやる気になって来た自分がいます。
なんでだろう?
やりたくなかった、と言うか、やれると思わなかった職種だったのに、自信も全くなかったはずなのに、こうして続けて、不思議とできるようになって来てしまった。
できてしまったら、やるしかないじゃないか。
もう逃げ出せない。
正直、いつ逃げ出そうかと思っていた。
嫌で嫌で仕方がなかった。
できると思ってもいなかった。
と言うのは、自分にとってあまりにわからないことに対して責任を負う必要があったからだ。
わからないのに、ミスると事故につながる重要な仕事。
わからないと言うのは、僕自身なんの免許も持っていないからだ。
何も持ってないくせに、あるふりをして捌く必要がある仕事だから、無理があると思っていたし、今でも思っている。
本当はわかってないんです。
信号がどう言う状態にあったら、対象者はどう動くのか、全く理解していないといっても良いのです。
それでも流石に慣れて来て、それなりに捌けるようになった。
そんなものなのか、仕事って?
やってればなんとかなるものなのか?
それが冒頭の書き出しな訳です。
仕事をすること自体に嫌じゃなくて、その意味もそれなりにわかってやっているつもりです。
そうするとなんとかなってくる。
だから頑張ってやろうと思えるし、自信にもなる。
そう思って一週間仕事をした。
やり遂げたんだろうか?
反省はあります。
それでも日曜日にそれ相応の計画を立てて、また一週間頑張っていくのです。
僕の週の初めは日曜日。
日曜日は休養日ではなくて、計画立案日。
だから土曜日は反省と振り返りの日でありたかったりするのだけれど、今日土曜日も仕事をした。
仕事がある以上致し方ない。
ありがたいことに、なので、またがんばります。
日大アメフト部廃部?に思う違和感
廃部したらそれで解決するのだろうか?
日本大学アメリカンフットボール部、日大フェニックスの廃部が決まりそうだということです。
何考えてるんだろう?
アメフト部そのもの、特に学生側に問題があって不祥事が起こったとでも考えているのか?
一部の選手が大麻所持していたことが事実であって、みんながそうだったわけではない。
見て見ぬ振りをした可能性はあるかも知れないとあえて考えたとしても、廃部はありえんだろう。
廃部したらことがなくなるわけではない。
というか、直接的には選手個人の問題で、彼らは逮捕されている。
本質的な問題は、その後の大学自体の問題であって、部の問題ではない。
数年前の違反タックル問題だって、監督とコーチを解任して部を活動停止にして、終わっている。
今回だって、部のせいにして大学本体は変わっていない現状がある。
だいたい変に思うのは、日大って危機管理学部がありますよね。
教えてるくせに、自分たちの組織の危機管理ができていないのは何故だろう?
偉そうに教えてるんじゃないよ。
教えている内容と事実とは違うのかも知れないけれど、ならば看板に大きく「危機管理」とかあげてていいのか?
我が母校関西大学にも安全学部がありますが。
こちらははっきりしている。
母校だから肩を持っているのも事実ですが、いろいろな危険に対する危機管理や安全対策を研究している実績があります。
だから日大だってそうなのだと本当は思うのですが、だからこそなんで今回のようにゴテゴテになったりするのだろう。
林理事長が適任でないとまでは言わないけれど、危機管理学部教授をトップに出来はしないのだろうか。
まあきっと運動部系の組織が強いんだろうね。
不思議で仕方ないということもあるけれど。
結局、アメフト部を廃部にして、トカゲのしっぽ切りのようなもので、悪いものはなくしましたからもういいでしょうとしたいんじゃないか?と不信感があります。
日大っていい学校なのにもったいない。
僕は個人的に日大・慶應・当然母校の関西大や同志社大・立命館大のOBが、付き合いのあるうちでさすがだな!と感じる出身校なので、もったいない。
だからこそ内部にメスを入れて根本改革をしてほしい。
アメフト部の廃部なんかしても解決しない。
まあ学長と副学長には問題ありそうなので辞任していただくとして、理事長はどうされるのか?
お辞めになることはないとは思いますが、それ相応の責任は取っていただく。
そして組織改革を進めてほしい。
今の学生を守ってほしい。
できればアメフト部も守って欲しい。
大多数の学生には罪はないのだから、色々なところで不利にならないようにしてほしい。
まさかこんな大学?と企業側が就職に不利にすることはないだろうけれど、学生はそれを不安に思っているはずだ。
苦手なことを敢えてやってみたらどうなったのか?
やってみて気が付いたこと
苦手なことがあって、それさえなければ仕事が楽しくできる、と思って、避けながら仕事に挑んでいました。
しかしよくよく考えたら、それさえマスターというかクリアできたら逆に仕事を楽しくできるのではないか?
だって、苦手を克服したんだから、向かうところ敵なしではありませんが、できることしかないではないか。
抽象的で申し訳ないのですが、そういうことをおもったわけなのです。
それでやってみた
えいや!とばかりに会えて気分を上げてやってみた。
もちろんできるわけではない。
元々苦手だったんだから、すぐにできるというわけではない。
だがしかし、やってみたら出来ないまでも達成感(あくまでも自己評価)が半端ないのです。
他者評価が仕事の全て(電通鬼十訓とかでも言われていますが)だから、本当のところはまだまだダメなのかも知れない。
けれどもいい気分で勝手に盛り上がっている!
大事なのは、いい気分でモチベーションを高めること
繰り返しにはなりますが、あくまでも自己評価での達成感が高まっている状態になって、何がいいのか?
当然気分がアゲアゲになって、仕事に対するモチベーションが上がります。
すると他者評価としての結果(査定とか)はついてこなくても、「こいつかわったな!」と見る目が変わった(気がした)。
たった1日だけでこれだったら、続ければだいぶ変わるんでしょうか。
種明かし?
突然こんなに気分が変わって、アゲアゲな仕事への向かい方になるわけがない。
たとえ自己肯定感に関する本を読んだりしたって1日で変わるわけもなく、突然いいものがひらめくには訳があります。
直接的に考えられるのには、心療内科でのお薬なんじゃないか?
別に精神的に病んでいるというほどの状態ではない、ので、自分の意思で心療内科に通院し自分の言葉で医師に説明が普通にできる。
ただなんとなく気分が上がらない状態にあって、少しばかりお薬の力で気分を上げることで、日々の生活を改善していっているということなのです。
それの間接的な効果として、多分夢見が変わってきたのではないか?
怖い夢や悲しい夢を全くみないわけではないけれど、相対的に楽しい夢・奇抜な夢を見るようになった気がします。
その中にヒントが隠されている気がして、ちょっと思い出してやってみたことの一つが、実は冒頭の件なのでした。
補足)心療内科って言ったって、精神科と言ったっていいけれど、行ってみてもいいのではないか
これは補足です。
別に受診を必ずしも万人ににお勧めするわけではないからです。
ただ例えば僕のように生活が変わることがあるなら、多少なりとも精神的にダメージがある人は受診してみてもいいのではないかと思ったりします。
お薬ひとつ(やふたつやみっつ)で変わるのならば、毛嫌いせずにいた方がいいかも知れないと思ったわけです。
なんのために生きているんだろう?
仕事をするということは生きるということだ。
突然にそんなことを思ってみました。
単純にお金を稼ぐだけのために自分の時間を売って引き換えているだけだったら、それは虚しい。
特に、僕はもうアラカンなわけだ。
ひと昔だったら引退していたような年代だ。
あるいはたかだか80年前だったら寿命だと言っても良いのかも知れないお歳なわけだ。
そんな年代にあって仕事をするということが、単に命を長らえる為だけになっていては面白くない。
仕事をして帰ってきて。疲れて寝落ちした頭で、寝ぼけながら書いたらこんなことしか思わない。
なんのために仕事をしているんだろう。
はい、おはようございます、の時間ですね。
ちゃんと生きられているんだろうか・
変な夢を見て目が覚めたこともあって、妙に考え込んでしまって寝られない。