お金ってなんだろう?と考えてみた。
お金ってそれ自体には別段価値がある訳でなく、ただの紙切れだしコインに過ぎないと思うのですよね。
いくら財布にたくさんお金が入っていたって、だからと言ってそのこと自体が偉い訳ではないのです。
お金自体はただの紙だし金属だということです。
お金の価値は、交換の手段としての価値なのだと思うのです。
(※ただの個人的思索なので、経済学的にどうとか社会学的にどうとかいうことの学説は無視して考えています。)
お金がたくさんあるということは、他人と交換できる価値をたくさん持っていることだし、必要なものを手に入れるための価値をたくさん所有しているということなのです。
自分に、他人と交換できる価値があるとか、必要なものを手に入れるための価値を所有しているということを、誰にでも通用する形で代用するのがお金です。
だからお金があれば教育だって必要なものを受けられる訳です。
例えばこうやってブログを書くときにでも、必要ならばその筋の本を買ってきて勉強できるし、なんなら書き方セミナーに行って学ぶこともできる。
最低限の教育の範囲を超えて、それ以上を望むときにはお金を持っていることでそれを手に入れることができる状態です。
なんなら大学の通信教育部に入学して学ぶことだってできる。
芸大の文芸学専攻で学べますもんね。
書くこと自体が好きなので、それも考えたりします。
そのためにお金をたくさん手に入れたい。
お金をたくさん手にしたいというのは、やりたいことや手に入れたいものがあるからこそ意味があると思うのです。
ただ単に贅沢な暮らしをしたいという訳ではありません。
別に高い車に「単に」乗りたいからお金があれば良いと思う訳ではないのです。
高い車を所有することで得られる快適さとかを求める気はあります。
でも自慢したいがために所有する気はありません。
それが目的な人もいるだろうし、それを否定する気も全くありませんが、それは個人の考え方の自由だと思うのです。
僕はお金は価値の代用手段だと思っているけれど、だからこそいくらあっても良いと思っている訳ですが、お金を所有すること自体に価値や意味を求めることもあるでしょう。
貯金が何億あること自体に意味があると考えることだってできる訳で、それは別に良いんじゃないかと思います。
金の亡者だって良いんじゃないでしょうか。
お金を持っていることを自慢する人をやっかむ必要なんかない、自分にないからと言って卑屈になることもない、それは自由だし、自由になるべきだと思います。
「お金というモノ」それ自体に価値がある訳でもないし、だからこそ執着しなくても良いのでは?
お金に対する考え方・捉え方・向き合い方に決まりはないと思うし、だから執着することもない。
人をやっかむことも羨むことも、「お金自慢なんてはしたない」と思うことも、全然必要ないことなのだと思います。
そんなことを思った上で、僕はお金をたくさん手に入れたいと思うのです。
やりたいことをやるために。
必要なものを手にするために。
そのためにお金が必要なのは当然なのだから(価値の交換手段としてたくさんあることがいいに越したことはないのだから)。