働く姿勢を考えてみた。
一週間フルに月曜から土曜まで働くと言うのは大変なことです。
残業したりもして、怒涛の一週間を過ごして疲労困憊です。
僕はたったの一週間でこれだけれど、もしも建設業界にいたら、年中此れだから大変だな。
どうして月曜か土曜日までフルで稼働できるんだろう。
定時勤務が常とは言うものの、よく体が持つなと思います。
ましてや、例えば我々のように決まった事業所に通うのではなく、建設現場に直行直帰だったりするから、尚更大変だ。
一週間フルに稼働すると言うことが慣例なのだろうか。
その代わり実働時間が週40時間になるように休憩が考えられているのかも知れない。
それでも、週6日拘束されていることには代わりない。
それが当たり前と思うようになっているのだろうか。
よく事故もなく進んでいくなと思います。
からだ資本だけれど、働く側としてよく保つなあということです。
働くということに対峙して、相当強く思っていなければ何十年とそういう生活はできない気がします。
思うのはこれです。
生活のため、とさらりと言ってのけるのでしょうが、でも最初にその働き方を決断したのは自分なのだから、それを決断したことがすごいと思えるのです。
誰にやらされた訳でなく自分で決めたんです。
その働き方を。
それに比べて会社の愚痴を言って週末飲んだくれるサラリーマンの甘さです。
いや別に僕が今呑んだくれている訳ではないし会社の愚痴を言っている訳ではありませんが、思い返せば、週末の飲食店は一週間を乗り切ったサラリーマンで溢れていたなと思い出します。
聞こうと思って聞いていた訳ではなく聞こえてきたのは会社の愚痴だった。
超大手の会社の社員(襟の社章でわかります)なのに愚痴っている。
上司が悪い、会社が悪い。
営業が分かってないだの、逆に設計が分かってないだの、言いたい放題です。
実はその飲食店は小中の同級生がやっている店で、経営者たる彼が言っていたのを思い出すのです。
「あの愚痴ってる連中な、ずっとここ(同じ事業所)で同じような仕事をしてるんやで。(出世する人は転勤転属するその会社でここにいつまでもいて愚痴っているということは)出世してないってことやな。」
出世する人は仕事に対しての諸々を誰のせいにもしない、自分で切り開くようです。
愚痴るのでなく、改善方法を探るのです。
「そんな一週間を週末くらいは解放するために一杯呑んでいるんやろな。」と彼が言っていたのを思い出しました。
呑み方も綺麗だったと言います。
泥酔なんかしない。
支払いも、割り勘ならすっと割り勘するし、誰かが払うというときも「次は俺な。」とか奢り奢られじゃない綺麗な払い方だ。
そんな呑み方をしていたある人は、国外の事業所の立ち上げに参画するという出世をしたそうです。
そんなもんだと思います。
呑み方が生き方なのです。
(店は違いますが、僕の高大の同級生がそんなやつで、中堅企業ながら面白い会社に就職して、ベトナムの新規事業所を立ち上げに行った奴がいますね。僕にとって彼は自慢の同期です。そんないそがしいはずのやつなのに同窓会の感じなんかやってくれてまあできたやつです。)
あれこれ書きつつ、そんな人間でありたいと思いはするもののつい甘く行ってしまう、実はそんな僕の反省の文章でした。