ものの言い方で、ずいぶん変わるのになあと思ったこと。
今日あった出来事です。
仕事をしていて、ある作業を僕がしていて、本来僕の作業である作業に間に合わなくて、代わりに入った人がいたんですね。
それで作業を終わらせて本来の作業に入るために、そこに行った訳です。
その時の一言。
「〇〇は誰がするんだ?」
カチンときてしまいました。
確かにその作業〇〇を連続して僕がやらないと誰もやってないのです。
でもその言い方はないだろう。
が、それって普通に「〇〇もやってからこっちやって。」と言えばこっちもそうするだけでカチンと来なかったろうに、と思ってしまったのです。
抽象的でわかりにくいかも知れませんが、いつもの作業に入らないとと思って急いで行ったら「〇〇は誰がするんだ?」と返してきたら、一瞬何言ってんだ?と間を置いてから、むかっときたんですね。
こっちは急いでやってきたのに、と。
でもこう思いました。
と言うか思うようにしたんです。
「相手は僕を自分で判断できると踏んでこう言っていたんだね」と。
無理やりにですが。
普通に指示すれば腹も立たないし良いのだろう。
「〇〇もやってからこっちやって。」と言えば、普通に作業は流せるのになと思いつつ。
でも無理やり考えてみたら、指示するってことは普通によくある話だけれど、それは相手が、指示したらできる、でも自分で考えて判断すなくて良いでしょこいつのレベルだからこう言ったら親切、と相手が思ったことにならないか。
すいません、怒りの感情を鎮めるために無理やりこじつけてます。
要するにものの言い方と捉え方の話です。
自分がどう捉えるか?で、気分を沈める方法として、ちょっとこじつけてやってみたと言うだけの、ちょっとした駄文です。